こんにちは、ひなたの風です。

6年ぶりに風邪をひいてしまい、声が変わっていましたが無事完治いたしました。

皆様も、お体に気をつけて、あたたかくしてお過ごし下さいませ。

さて、前回起業奮闘記 第4章の続きとなりますが、

私の尊敬する両親についても少しお話させて頂こうと思います。

私の父と母はとても面白く、小学生の頃は二人ともパンチパーマでした 😀

父親は自営業をしていて職人気質の厳しく、母は優しくおおらかな性格です。

私が「ひなたの風」の起業きっかけとなったのも両親の影響が大きいと感じております。

父は小さい頃より、「兄弟仲良く、助け合え。」、「死ぬ以外はかすり傷。」

「やってする後悔はいいけど、やらないで後悔するのはよくない。」と言っていました。

そして、母は寝る前に「今日も無事に生きさせて頂いてありがとうございます。」と

言ってから寝るのが習慣でした。

小学生の頃、将来の夢が3つありました。

一つはK-1の選手、もう一つは空手道場の師範、そしてもう一つは社長になりたいと思っていました。

幼稚園より空手を習っていたこともあり、中学校の頃には格闘家になりたいと思っていましたが、

その夢は父親に止められ諦めてしまいました。

父は最終学歴が中学校で、体を使う仕事の大変さを知っていました。

なので、大学にどうしても行って欲しかったのだと思います。

今になって思えば、そこで夢を諦めてしまったのは、僕自身にそこまで強い思いが無かったのだと思います。

そこで、新たな目標が出来ました。大学に行くことです。

国公立の大学が学費も安いということで、地元の国公立大学を目指すことになりました。

勉強は好きではなかったですが、塾や家庭教師を習わせて頂いたおかげで、無事に入学する事が出来ました。

しかし、大学に入ることが目標になってしまっていたので、燃え尽き症候群と言うのか、

勉強にまったく身が入らず、掛け持ちでアルバイトをして、稼いだお金で遊んでしまうという大学生活を過ごしました。

そこで、得た経験が全く無駄にはなってないと思いますが、そのころの私には夢や具体的な目標もなく、

ただただ、遊ぶばかりの生活でした。

気づくと、同級生は先に大学を卒業し社会人になっていく中、焦りを感じ始めました。

恥ずかしながら、2年遅れて大学を卒業し、アルバイト先がゴルフセンターでしたが、

そこの本体の製造メーカーに入社となりました。

転勤で大阪に来て、多くの人に出会い、小学生の頃の「社長になる」という夢を思い出しました。

そして、祖母が脳梗塞で倒れるという事件があり、この「ひなたの風」を立ち上げる決断に至りました。

起業奮闘記 序章 参照

最後に一歩踏み出す勇気を与えてくれたのは、幼少期に教えてくれた父の言葉でした。

とは言え、まだ準備段階ですが、、、 😉

来年は旅行業務取扱管理者(国内、総合)の試験があるので、現在はその勉強に力を入れています。

ご利用頂けるお客様の笑顔がより多くみられるように、日々精進してまいります。

介護旅行起業奮闘記 第4章

介護旅行起業奮闘記 第3章

介護旅行起業奮闘記 第2章

介護旅行起業奮闘記 第1章

介護旅行起業奮闘記 序章

勉強